真夜中に
ひさしぶりに、他人の書いたブログを読んだ。
地震についての文章と、私のだいすきな映画についての文章。夢中で読んでしまった。今日こそは日付が変わるまえに寝るぞって思ったのに、その人の紡ぐ言葉の率直で凜とした美しさに魅せられて、勢いでブログを作ってしまった。
わたしは、言葉が好きだけれど、言葉が怖い。
言葉はその人をわかりやすくあらわす。
知性、感性、性格、感情、清潔感。それが容姿を知らない人であった場合、紡ぐ言葉から容姿までをも想像する。
私はツイッターを使っている。
学校での知り合い用と、趣味用のふたつがあるが、学校用のアカウントではほとんど呟いていない。なぜなら、先ほど書いたように、文字や言葉はその人の色々なものを周りに分からせてしまうからだ。怖い。本当に怖い。
せっかく顔を見て知り合った人なのだから、私がその人といるときに言いたいと思ったことを言いたいし、見せたいと思った部分を見せたい。ツイッターで無機質な50音にしてしまうことで、ただの「顔を知ってる」という共通点だけの人たちに同じ情報を伝えたくない。まだ「わたし」という存在の1ミリくらいしか教えていないような子に、何メートルも先にいる「わたし」を把握されたくない。
ただの天邪鬼かもしれない。
でも、そういう想いから、わたしはほとんど呟いていない。たまに眺めるだけだ。ちなみに最近は猫のホイップちゃんに夢中である。
そんなわけで私は、言葉が好きだからこそ苦手だし、大切だからこそ、とても怖いと思っている。ただの臆病者だ。
だからこのブログを書くのだって、誰かには見て欲しいけど、あの人に見られたらがっかりされそうだなとか、引かれそうだなとか、この人には絶対に見せられないなとか、こじらせてるって思われそうだなとか、色々と考える。心配してしまう。
そもそも、万人に受け入れられるのなんて無理な話なのだ。それでも、私の行動によって嫌われない余地が残されているのならば、できるだけそこには踏み込まずに生きていきたい。
……言葉が苦手だといいながら、言葉についてもう800文字以上書いている。
というのも、先ほど言ったフォロワーさんのブログを読んだ後にひさしぶりに自分のアメーバブログを読み返したら、意外と悪くないな、と思ってしまったからである。
こっぱずかしいなとも思ったが、今の私とは確実に違う場所から物事を眺めていた私自身を、なんだか少しだけ愛おしく思えた。
もっと、言葉を、たいせつにしたい。
まわりとの調和を優先して、たいせつな言葉や想いをしまい込むのをやめたい。
このブログは、そういうブログにしていきたいと考えている。
勢いで1000文字も書いてしまった。
大学のレポートであればなかなか苦戦するような文字数である。簡単に到達してしまった。
今までの私なら、ここまで書き終えたあと、最初から読み返して少しずつ修正する。あるいは、半分以上ごっそり内容を消すこともあるし、投稿すらしないこともある。
でも、今日はそれはしない。
勢いで、投稿ボタンを押そうと思う。
えいっ。