「憧れ」

 

 

私は、所属するサークルに大好きな先輩がいる。いや、正確には、いた。この春とうとう卒業してしまうのだ。

 

 

とにかく人として素敵すぎて、いつだって憧れの人だった。1年生のときから、いわゆる"推し"だと公言してきた。(あと、結局そこかよ!て言われそうだが、顔も好きだ。率直に言って顔がかっこいい。)

 

 

そして今日はその先輩が組んでいる、とあるバンドの最後のライブに行ってきた。

 

 

 

感想はもう、ひとことで、最高。

 

バンドメンバーみんながボロボロと涙を流しながら演奏する中で、憧れの先輩だけは、涼しい顔をしていつものように歌っていた。そういうところも好きだな、と思いながら、耳と目を傾けていた。

 

 

 

そしてふと、2年間続いた「憧れ」の感情に唐突な終わりを告げられた気分になり、うっかり泣きそうになった。もうこうやって特定の人や物事に対して強烈に憧れの感情を抱くこともないのかな、たくさんあたたかい気持ちになれた2年だったな、と。

 

 

このバンドの人たちは、推しの先輩に限らず、会うと無条件に優しくしてくれる人たちだったし、可愛がってくれていた。

 

 

今日も、「おお、久しぶりじゃん!」から始まり、特に何かしたわけでもない私に「○○ちゃんのこの感じがいいんだよね〜〜」と言ってくれた。そして、半年間休部していた私に対して、「おかえり」という言葉をかけてくれる先輩もいた。

 

私を可愛がったところで何か返してあげられるわけでもないし、仲が良いわけでも頻繁に喋る関係でもないのに、それでも会うたびに明るく絡みながら優しく肯定してくれる人たちで、そこがとても好きだったし尊敬していた。

 

 

そんな先輩たちのうちの1人が、「やっぱりこのバンドはみんな結局人がいいから。みんな根が優しい人たちだから、問題があっても続けてこれた。」と言っていて、それがとても心に残っている。

 

 

そっか、私はこの人たちの「優しさ」に憧れていたのだな、と。

 

この子にこうすることで自分が周りからどう評価されるかとか、この子から見返りを求めたいとか、そういう面倒な損得勘定は一切なしに、ただ自分がそうしたいと思ったしそうしたほうがいいと思ったからする、といった具合に、優しさを、そして心の余裕を周りに分けることのできる人たちだった。優しくしてるつもりなく優しさを他人にそっと植えることのできる、そういうところが大好きだった。そんな彼らの優しさに憧れていたし、それに触れるたびに幸せな気持ちでいっぱいだった。

 

 

私は、人に優しくするのが苦手だ。

できるだけ本物の気持ちを届けたいと思うから、可愛いと思わないものには可愛いと言いたくないし、おもしろいと思わないものにはおもしろいと言いたくない。自己中心的な人は、突き放したくなったりもする。でも、それをあとで後悔したりもする。そういう、どうしようもない人間。

 

 

 

だからこそ、この憧れた気持ちは一生忘れたくない。本能で、恩着せがましくなく他人に優しくできて、小さな幸せをそっと人の中に置いていけるような人になりたい。

 

 

あまり何かに夢中になることのない私にとって、とても大切な2年間だった、と今になって思う。

 

 

あーーーたのしかった。

きっともう会うことなんて二度とないような関係だけれど、私の知らないところで思う存分幸せに健康に楽しく過ごしててください、って思う。そう思うことが、せめてもの恩返し。

 

 

こんな溢れる思いをもし本人たちや周りに知られでもしたらドン引きされそうだ。ツイートじゃとてもおさまる気がしなくて、勢いで綴ってしまった。

 

 

 

優しくたのしく、穏やかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドライヤーを片手に

 

 

いつもいつもブログを書こうとして下書きだけが溜まる。わかりやすく、伝わりやすく、スマートに、て考えてるうちにめんどくさくなっちゃうので、今日は髪を乾かしながら勢いで書いてみることにした。

 

 

ちなみに今は左手にドライヤー、右手にスマホ

 

きのうは前髪を切りすぎてガッカリしたのでとても慎重に乾かしていたのだが、今日学校に行ってみたらなんだか案外ほめられたので、ちょっとだけ調子に乗って片手で適当に乾かしている。なんとも単純。

 

 

 

ところで、私は派手な生活が不得意だ。

そこそこの間柄の友達とおしゃれなランチをしたり、そこで積極的に自撮りをしたり、インスタのストーリーで充実した生活をお届けしたり、あるいは大人数の飲み会でキャッキャしたり。

 

 

おっと、ちょっぴり皮肉も混ぜてしまった。

 

 

申し訳程度の勉強をしてキラキラ大学生がたくさん通う大学に入って、ひょんなことからキラキラギラギラした人がたくさんいるサークルに入ってみたりして、べつにキラキラしたいわけじゃないのに生き残るためにキラキラに擬態してみたりして。キラキラ合戦に参加してみたりして。でもすぐにキラキラ合戦の踏み台にされてぐちゃぐちゃになったりして。

 

 

なんだかやたらカタカナが多くなってしまったけれど、そんな擬音だらけの世界はどうやら私にはあんまり向いていないらしい。

 

 

 

きっとそういうキラキラが幸せな人もたくさんいるのだろうけれど、私にはしっとりゆっくり地味な生活が性に合ってることに大学2年生終盤にもなってようやく気づいた。

 

そう、私はとても地味なニンゲンなのだ。自分の遅いペースに無理矢理エンジンをかけてみたりして派手なニンゲンに擬態することもできるけれど、そこから得るものは、ただの疲労と、消費。だから21年生きてきて、大体いつも人間のフリをしているチリのような気分だった。おっと、チリに失礼か。

 

 

 

そんなポンコツエンジンを好きだよって言ってくれたり許してくれたりする優しい優しい友達と付き合いながら細々と生きている。もちろんこんな人間を許してくれるくらいなので、みんなに自慢してまわれるくらい素敵な子ばっかりだ。

 

 

 

 

ちなみにそんな地味な私は

たとえばいまは、こういうのが好き。

 

 

行ったことのなかった映画館

授業中にこっそり読む小説

ぐっっっとくるワンピース

あったかい布団

好きな友達と食べる和食

今日見たいテレビを考える時間

アイドルの姿と言葉を追うこと

好きな歌を聴きながら歩く夜道

写ルンですの現像を受け取る瞬間

バイトのご褒美に買うコンビニアイス

 

 

ほとんどが1人ですることばっかり。

でもぜんぶ心の中でスキップしたくなる。

 

 

 

 

これからしたいことは、

 

 

ひとり水族館

ディズニーランドでカレーを食べる

ギター習得

本棚を好きな本でいっぱいにする

そのために本をたくさん読む

前髪を伸ばす

たくさん働いてカメラを買う

オールナイト上映に行く

英語と韓国語のべんきょう

 

 

こんなかんじ。

 

 

どれも聞いてないし!て感じだけど、まえに○○で働きたいってツイートしたら本当に受かって働けて今はっぴーなので、文字にしてみた。特にカメラを買いたい。友達はそんなにたくさんいないけれど、ゆっくりお出掛けして写真をいっぱい撮りたい。

 

 

基本的に派手な人たちのいる環境に放り込まれがち、もしくは気の迷いで飛び込みがちな人生なので、きっとこれからも、つかれた……ておもうことはたくさんあるけれど、ゆっくり好きなことをたくさん自分に放り込んでずっしり重い人間になりたい。

 

 

 

ずっしり重い人間には程遠いので

ぺらぺらなブログになっちゃった。

 

 

読んでくれた人の夜更かしの時間を泥棒しちゃった!て思いながらあったかい布団に入ろうとおもいます。こんどはもうちょっとしっかり書くね。

 

 

おやすみなさい。

前髪、はやく伸びるといいな。

 

 

 

真夜中に

 

 

ひさしぶりに、他人の書いたブログを読んだ。

地震についての文章と、私のだいすきな映画についての文章。夢中で読んでしまった。今日こそは日付が変わるまえに寝るぞって思ったのに、その人の紡ぐ言葉の率直で凜とした美しさに魅せられて、勢いでブログを作ってしまった。

 

 

わたしは、言葉が好きだけれど、言葉が怖い。

 

 

言葉はその人をわかりやすくあらわす。

知性、感性、性格、感情、清潔感。それが容姿を知らない人であった場合、紡ぐ言葉から容姿までをも想像する。

 

 

私はツイッターを使っている。

学校での知り合い用と、趣味用のふたつがあるが、学校用のアカウントではほとんど呟いていない。なぜなら、先ほど書いたように、文字や言葉はその人の色々なものを周りに分からせてしまうからだ。怖い。本当に怖い。

 

 

せっかく顔を見て知り合った人なのだから、私がその人といるときに言いたいと思ったことを言いたいし、見せたいと思った部分を見せたい。ツイッターで無機質な50音にしてしまうことで、ただの「顔を知ってる」という共通点だけの人たちに同じ情報を伝えたくない。まだ「わたし」という存在の1ミリくらいしか教えていないような子に、何メートルも先にいる「わたし」を把握されたくない。

 

 

ただの天邪鬼かもしれない。

でも、そういう想いから、わたしはほとんど呟いていない。たまに眺めるだけだ。ちなみに最近は猫のホイップちゃんに夢中である。

 

 

そんなわけで私は、言葉が好きだからこそ苦手だし、大切だからこそ、とても怖いと思っている。ただの臆病者だ。

 

 

だからこのブログを書くのだって、誰かには見て欲しいけど、あの人に見られたらがっかりされそうだなとか、引かれそうだなとか、この人には絶対に見せられないなとか、こじらせてるって思われそうだなとか、色々と考える。心配してしまう。

 

 

そもそも、万人に受け入れられるのなんて無理な話なのだ。それでも、私の行動によって嫌われない余地が残されているのならば、できるだけそこには踏み込まずに生きていきたい。

 

 

……言葉が苦手だといいながら、言葉についてもう800文字以上書いている。

 

 

というのも、先ほど言ったフォロワーさんのブログを読んだ後にひさしぶりに自分のアメーバブログを読み返したら、意外と悪くないな、と思ってしまったからである。

 

こっぱずかしいなとも思ったが、今の私とは確実に違う場所から物事を眺めていた私自身を、なんだか少しだけ愛おしく思えた。

 

 

もっと、言葉を、たいせつにしたい。

まわりとの調和を優先して、たいせつな言葉や想いをしまい込むのをやめたい。

 

 

このブログは、そういうブログにしていきたいと考えている。

 

 

 

勢いで1000文字も書いてしまった。

大学のレポートであればなかなか苦戦するような文字数である。簡単に到達してしまった。

 

 

今までの私なら、ここまで書き終えたあと、最初から読み返して少しずつ修正する。あるいは、半分以上ごっそり内容を消すこともあるし、投稿すらしないこともある。

 

 

でも、今日はそれはしない。

勢いで、投稿ボタンを押そうと思う。

 

 

えいっ。